ラングドラングドック地方発祥のリキュール Get 27(ジェット27)
以前はペパーミント・ジェットと呼ばれていた

     ピアノ曲エピソード

 
 ペパーミント・ジェット
Pipperment Get


<オーギュスト・ジェットへのオマージュ>
(ジェット= Get 社)の緑色のリキュールのお話から〜


ルヴェルの町(Revel)−サン・フェリックスロラゲより10キロほど東へ行った町−の
ジェット家(Get)は、ジャン(ルヴェルの市長で名士)とピエールの代で、1796年からのフランスでも指折りのお酒の蒸留所を相続した。
この時、ペパーミント・ジェットというリキュールを考案する。
その名のとおりミントのお酒なのだが、英語の綴りをまちがえてeをiにしてしまったまま、
お酒のラベルを作ってしまったという。
そして当時、二人が泊まったペルピニャンの旅先のテープルの上にあったランプの形にヒントを得て独特な形のビンを思いつき、それに詰めて売り出したミントフレーバーのリキュールは、山の氷を砕いたようなさわやかな味でフランスではナンバーワンになり、その後ロングセラーで今でも愛飲されている。

ペパーミント・ジェット(Get 27)はラングドック発祥のリキュールなのです。

独特な形のビンはグラマーな女性のようにも見える。この瓶をポール・セザンヌが描いた作品がワシントンの美術館に残っている。
<セヴラックとオーギュスト>

そのジェット家のオーギュスト・ジェットとセヴラックが知り合ったのは1907年の7月、セヴラックはベジエの葡萄栽培者らが選び出したクレモンソー党派に対抗して地区議会選挙に出馬し、彼に紹介された。 選挙では、セヴラックとジェットは見事に当選を果たした。そのときの彼のスローガンは「僕は、すべての地方分権者の代表だ!そしてLa Lyre du Vent d’Autan(地元の楽隊の名前) を設立した者だ!」と宣言して立候補したという。
セヴラックは地元の政治にかかわっていた。
彼の住むフレンチ・カタルーニャ地域の合併を阻止するため、彼は地元の名士として、また小郡の議員として奔走してその職務を成功させたりもした。

フランスは豊かな自然と気候、農作物、美しい景観をもち、フランス人たちは独自の文化に対する誇りが強い。 同じ地域といえども、むやみやたらな合併で、個々の伝統・文化の画一化は避けねばならない。 彼らはそういうことへの危機感は強く、社会的行動力をもっているのはフランス革命を見てもわかるであろう。

たとえば、ワインを例にとってみると、ボジョレー、コート・デュ・ローヌからニースあたりの南仏ワイン、何千という味の差があり、決して混同されることをよしとしない。繊細なブルゴーニュワインにいたっては、畑ごとにワインの味が違う。 レジョナリストとしてのセヴラックにとって、無神経な十束一からげの政策は断じて我慢ならないだろう。ショパンの楽譜でその名を馳せているパデレフスキは、ピアニストにして、教育者、作曲家、ポーランド首相にして外務大臣、そのうえアメリカ・サンフランシスコでは葡萄農園を持ちワイン製造業も手がけた人物であることも思い起こされる。
ピアノ曲 「ペパーミント・ジェット」一杯飲んで陽気な気分になって踊っているような場面や、誇らしげなスペイン風のメロディーからは、当時の様子が目に浮かぶような気がする。
 楽しいなかにも、こんなエピソードを含んでいる、爽やかな演奏会向けのピースといえよう。


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