Deodat de Séverac セヴラック作曲  En Languedoc  組曲 「ラングドック地方で 」      HOME
 セヴラックの友人であり師であったブランシュ・セルヴァも指摘しているとおり、ピアノ曲「ラングドック地方で」と彼のオペラ「風車の心」 の舞台は、
 ”彼の美しい故郷”なのです。
第1曲 Vers le Mas en fête
「祭の日の田舎屋敷をめざして」は次の3つの部分からなり、
それぞれがラングドック地方の一風景を描写する設定になっている。

Par le chemin du torrent (急な流れに沿って)
Halte à la fontaine (泉での休息)
Le Mas en fête (祭りの日の畑屋敷)


作曲年は1903~4年、初演したピアニスト・リカルド・ヴィニエスに献呈している。そして、楽譜の冒頭には、
南仏の詩人ミストラル(1830~1914)のオック語で書かれた『ミレイユ』(プロヴァンスの少女)より引用が添えられている。
「あなたがた、羊飼いに、田舎屋敷の人々に歌おう・・・」と。

曲の構成は、聞き流すレベルでは、3つの部分がバラバラに聞こえてしまう恐れがあるが、
より深いレベルでは大きく1つにまとまろうとする力が働いている。
すなわち一幅の絵画に過ぎない訳ではなく、作品の中には3つの主題があり、
それらは表情を変えて繰り返し現れる、つまり変奏されていく。
そして、いくつかの象徴的なモチーフや主題は第5曲のそれとも通じ合ってこの組曲に統一を持たせている。

ベートーヴェンやブラームスのように、主題や動機の展開の巧みさに圧巻させられるという種類のものではなく、
推敲を敢えて隠すことに努め、自然発生的に紡いでゆく手法。
それは、即興演奏に長け、メロディーメーカーだったセヴラックの真骨頂ともいえる。
 村人の踊り、さまざまな場面での鐘の音・・・そして夕べの鐘(Angelus du soir)が鳴り祭りは終わりを告げる。
セヴラックが表現の中心とした、故郷の自然、素朴な暮らしのなかにある“美しさ”は、
ドビュッシー、ラヴェルといった「都会派」作曲家には思いつかない「独特な音遣い」で発見できるのではないだろうか。

モネの絵画「水連―緑のハーモニー」

第2曲 Sur l'étang, le soir
     湖上で、夜に

  "Cette nuit,o bien-aimee nous irons rever sur le lac,dans la vieille barque"
    今宵は湖に浮かべた古い小舟の上で夢みる時を(フレデリック・ミストラル―ミレイユ)
これは組曲 第2曲の楽譜の冒頭に添えられた詩の一節である。
 etang
を日本語に訳すときにどれを選ぶか迷います。
池、沼、湖・・それぞれに大きさや水深、植物が生息しているのかなどによって違うようです。
ラングドックの肥沃な大地を潤す水源、それを取り囲む森は夜のしじまに静まり返っている様子。
そして、木々の小枝に休む生き物たちをやさしく包みこむ。

モネの絵画「水連―緑のハーモニー」よりも手が入っていない、飾らない自然のありのままの姿でしょうか。
時折、滴が月の光に照らされきらりと光ったのか、それとも鴫の声か。

私は、友人のフィンランドの夏の家に滞在したときのことを思い出します。
夏の夜、湖畔のサウナに入った後で、火照った身体を冷ますために湖に飛び込んで泳いだのがどんなに気持ちが良かったか!
独特の声で鳴く野鳥の声が明け方まで、時折聞こえたことも。
セヴラックご自慢の夕べの湖畔の風景は、音楽の中に色彩と香りが広がっているような気がします。

ピアノ組曲「ラングドック地方で」は、最初に第2曲となる「湖上で、夕べに」、それに続いて第5曲となる「農家の市の日」が作曲されました。
この組曲は当初、”街から遠くにあって”(Loin des Villes)という題名であったが、セヴラックと親しかったピアニストの*リカルド・ヴィニエス(この組曲はこの世紀のピアニストに献呈されることになる)が弾いて、「これは”En Languedoc”という名をつけたらいいよ!」と言ったことがきっかけとなり、この題名となりました。ヴィニエスはこの作品を1903年3月19日にベルギーのブリュッセルのリーブルエスティティック協会.で初演しました。セヴラックの作品はこの北のフランス語圏ブリュッセルで、人気が高かったようです。
 どんよりとした北の空の下に暮らす人々にとっては、南の太陽は憧れだったに違いない。
 *ヴィニエスは当時の作曲家たち、ドビュッシーやラヴェルをはじめその時代の作品の初演をおこなっていたいわば引っ張りだこのピアニスト、 そしてセヴラックと同じカタルーニャ地方の出身でもあった。


第5曲 Le jour de la Foire, au Mas
「市の立つの日、田舎屋敷で」

 音楽の形式: 2つの主題が現れ、ソナタ形式のように厳格ではないが、提示部、展開部、再現部をもつ

Demain,lêve-toi avant l'aube;nous suivrons les long troupeaux tintinnablants
(明日は夜明け前に起き、家畜たちがちりんちりんと鈴をならす群れと一緒に行こう)

早朝の朝露がしたたり落ちるような霧の中?家畜の首につけた鈴の音がカランコロンと響く。
この曲にはつねに鈴の音が、鐘の音が鳴っている。

羊飼いのが連れる牛や羊たちが移動するオペラの場面をみているようだ。
Espagnol!スペイン的な装飾音やリズムがエキゾチックに響く。
一番鳥が夜明けを告げ(楽譜に記載有)、村の人々の祈りの時、夜明けのアンジェラスの鐘が聞こえてくる。
村の祭りでは、人々が踊り、歌い、歓声が聞こえてくる。

楽譜に記載のある 「アンジェラスの鐘」とはキリスト教のカトリックの宗教的な内容を意味し、
西洋の文化のなかで重要な役割を果たす。
この曲には神聖な部分と、世俗的な部分が織り込まれているすなわち、人々の暮らしそのものが音楽の中にある。

セヴラックの一家は敬虔なカトリックの家系である。
村の暮らし、人々の姿をピアノで奏でる交響詩のようにも思える。

まだいったことのない土地の踊り、生き生きとしたリズムに切ない旋律。
未開の地に足を踏み入れたようだ。