Hélène de Montgeroult (1764~1836)
リヨン生まれの女流作曲家 エレーヌ・ド・モンジュルー
フランス革命 激動の人生
彼女にとってのラ・マルセイエーズとは
(1764年 3月2日 フランス・リヨン 生 ~ 1836年 5月20日 イタリア・フィレンツェ 没)
歴史を生きた波乱万丈な人生
ラ・マルセイエーズといえばフランス国歌 。これをテーマにおこなった即興演奏が彼女の人生を輝かしい地位に導く・・・
エレーヌは20歳のときに、かなり年の離れたアンドレ・マリー・ゴーティエ・モンジュルー侯爵(当時すでに、公務を引退した年齢の侯爵)と結婚する。9年後、時はフランス革命、フランスから逃亡する途中で、オーストリア軍に捕らえられ、夫は狭い独房で亡くなるが、彼女は釈放される。革命後の恐怖政治下、さらなる不安が襲うのだが、悪名高き”公安委員会”の総裁の前で、フランス国歌 ラ・マルセイエーズ のテーマによる即興演奏を行い、大喝采をあびる。その功績により、少し前にできたばかりのコンセルヴァトワール(フランス国立高等音楽院)の教授に徴用され、女性教授第一号が誕生する。しかし健康上の理由でわずか3年務めたにとどまるが、次の女性教授が誕生するのはそれから50年後というから、いまでは世界有数の人権の国フランスといえども、当時の女性の地位は低かったのである。そんな時代にあって、輝かしいキャリアウーマンぶりといえよう。
波乱万丈の人生、数回結婚し、一人息子をもうけ、ナポレオン軍の将軍と再婚するが、終生このモンジュルー姓を名乗る。
教授職を引退後は、自宅サロンで頻繁にコンサートを催し、優秀な人材を育てる。
教育者としての偉大な業績 ~モーツァルトの9年後、ベートーヴェンの6年前にすでにロマン派的な作風~
彼女自身は、音楽をデュセック、クレメンティに師事したとされ、1793年の雑誌に当時もっとも有名なヴァイオリニスト・教育者ヴィオッティとともに、その即興演奏ぶりを賞賛された記事が残っている。その才能への賞賛、献呈も多く得ていた。
彼女の教育者としての業績は大きい。彼女の若い生徒だったヨハン・バプティスト・クラマーのために書いた練習曲から始まって、1810年までには3巻711ページに及ぶ楽譜が出版された。エチュード、主題と変奏、ファンタジー、3つのフーガ、9つのソナタ、ピアノと歌のための夜想曲など当時のピアノフォルテの演奏法すべてをまとめてあるというから、興味深い。
その作風は、古典的、シューマンや、メンデルスゾーンのようなロマン派の先取りの感がある。
エチュード集~詩的なインスピレーションと奏法・テクニックをかねそなえた
新鮮な果実のような作品集
彼女の作品からは、モーツァルト~ロマン派にいたるまでの作品の演奏に必要な、さまざまな奏法に言及し、かつ詩的な歌い方を要求される。
ロマンスと名づけられたエチュード集は練習曲を超えた音楽的価値を持つ。同じく音楽的な練習曲集の
ショパンのエチュードなどとまた一味違うと感じられるのは、女性の作品だからであろうか。
新鮮な果実のような芳香をただよわせ、ときに力強く劇的だ。
2006年にジェローム・ドリヴァルによる校訂付でリヨンで第1巻が出版されたばかりである。第2巻以降も出版される予定。