サン・フェリックスロラゲの村の入口                      田園を見渡すセヴラックの銅像                 セヴラックのピアノの部屋



 曲目解説                                                                  HOME

La Fontaine de Chopin ショパンの泉 (En Vacance「休暇の日々」第2集 第1曲 )

 セヴラックの最晩年、未完のピアノ曲「休暇の日々」第2集(ブランシュ・セルヴァによる補完)は、
 1、ショパンの泉
 2、鳩たちの水盤
 3、二人の騎兵
の3曲から成っています。

第1曲目「ショパンの泉」は大きな3部形式で出来ています。
曲の冒頭は、セヴラックがよく用いる朗誦=レシタティーボ部から始まります。
それは、当然ショパンを彷彿とさせるようなもので華麗な始まりです。

その後、4分の3拍子ワルツの冒頭はX→Tの和声進行で始まり、「 ’」でフレーズにカットを入れてみるあたりが、
パロディー風で、「ほら、ショパン風でしょ〜なんちゃって〜」と聞こえてきてしょうがないのは私だけでしょうか?
お茶目なフランス人が、おどけて見せたりするところを思い浮かべてしまいます。
その後、ショパン風な伴奏部、音型、それらは叙情をたたえたマズルカか、バラードか・・・?
とうとうエチュード作品25の2番、作品10の9番、12番「革命」・・・を思わせる断片が登場します。
ショパンの万華鏡を見ているようでも、まぎれもなくセヴラックの音楽世界が広がっています。

巧みな転調(ショパンの常套手段をセヴラックは熟知していたに違いない)、
オーバーラップの効果など、作曲テクニック上の工夫も見て取れます。
フレーズの末尾に余韻を与えたいという嗜好のため、フレーズ構成が8小節プラス1,2,3小節・・・と変則的となっているところも、
彼の語法の特徴の一つです。
また同じ部分が繰り返されるときに即興的に少しずつ変えられるなど、
フランス・クラヴサン音楽を思わせる変奏は、彼にとって重要な作曲のテクニックであるといえましょう。

これらの要素が、ピアニストのアンプ作業を手こずらせることにもなるのですが、
セヴラックが 即興の名手だった ことを思い起こせば、それも頷けます。
ロマン派音楽と違うところは、叙情の世界にどっぷりとつかるのではなく、さらりとした”南仏ピレネーの風”が吹いて来て、
私たちを戸外へと解き放ってくれるところでしょうか。
感情の渦巻く混沌の中から悩み苦しむ魂を救い出し、色彩あふれる美の宝庫であるフランスの田園へ救い出してくれる。
これが、セヴラックの音楽の醍醐味だと私は思っています

そう、私たちは「解放される」のです。

この美意識(エスティティック)こそ、フランス近代のセヴラックの音楽の魅力といえましょう。


<フランス・ヴェルサイユ楽派>

17世紀後半のフランス・クラヴサン音楽の作曲家ラモーやクープランの音楽を
ドビュッシーやラヴェルらも「わがフランスの伝統における祖先たち」と称して、作品の中にその影響を受けていることや、踏襲を認めています。
ラヴェルの「クープランの墓」やドビュッシーの映像など、枚挙にいとまがないくらい数多くあります。

セヴラックのピアノ作品にも同じように、その影響が随所に見て取れます。
「ポンパドゥール夫人への詩句」や、休暇の日々第1集の「おばあさまが撫でてくれる」、休暇の日々第2集の
「ショパンの泉」に続く「鳩たちの水盤」などはその良い例です。

そのスタイルは、ソナタ形式のように複雑に音楽を展開させるのではなく、明快で主に変奏という技法が用いられます。
そこでは同じことを繰り返す野暮を避け、”良き趣味”により、洗練されていることが求められます。
上記のセヴラックの作品は、その題名からも、古き良き時代、良き趣味に想像をめぐらすことができる美しいタイトルですね。

〜音の水彩画家 セヴラック〜

ショパンやシューマンの音楽を油絵にたとえるならば、セヴラックの音楽は水彩画のように思います。
塗り重ねていくのではなく、一筆書きのような。それはむしろ構築性重視というよりは、即興的なのでしょう。
メロディーメーカーであるセヴラックの即興の現場に居合わせた人々は、南仏ピレネーでアーティスティックに暮らしを営む人々だったのでしょうか。
農作業に従事する人だったかもしれないし、もの作りの人、自然の色彩から芸術のヒントを得ることは大いにあるのでしょう。
セヴラック自身、また父や叔父、姉たちも絵ごころがあったようです。