ピアノ曲エピソード
ペパーミント・ジェット
Pipperment Get
<オーギュスト・ジェットへのオマージュ>
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<セヴラックとオーギュスト>
そのジェット家のオーギュスト・ジェットとセヴラックが知り合ったのは1907年の7月、セヴラックはベジエの葡萄栽培者らが選び出したクレモンソー党派に対抗して地区議会選挙に出馬し、彼に紹介された。 選挙では、セヴラックとジェットは見事に当選を果たした。そのときの彼のスローガンは「僕は、すべての地方分権者の代表だ!そしてLa
Lyre du Vent d’Autan(地元の楽隊の名前) を設立した者だ!」と宣言して立候補したという。
セヴラックは地元の政治にかかわっていた。
彼の住むフレンチ・カタルーニャ地域の合併を阻止するため、彼は地元の名士として、また小郡の議員として奔走してその職務を成功させたりもした。
フランスは豊かな自然と気候、農作物、美しい景観をもち、フランス人たちは独自の文化に対する誇りが強い。 同じ地域といえども、むやみやたらな合併で、個々の伝統・文化の画一化は避けねばならない。 彼らはそういうことへの危機感は強く、社会的行動力をもっているのはフランス革命を見てもわかるであろう。
たとえば、ワインを例にとってみると、ボジョレー、コート・デュ・ローヌからニースあたりの南仏ワイン、何千という味の差があり、決して混同されることをよしとしない。繊細なブルゴーニュワインにいたっては、畑ごとにワインの味が違う。 レジョナリストとしてのセヴラックにとって、無神経な十束一からげの政策は断じて我慢ならないだろう。ショパンの楽譜でその名を馳せているパデレフスキは、ピアニストにして、教育者、作曲家、ポーランド首相にして外務大臣、そのうえアメリカ・サンフランシスコでは葡萄農園を持ちワイン製造業も手がけた人物であることも思い起こされる。
ピアノ曲 「ペパーミント・ジェット」一杯飲んで陽気な気分になって踊っているような場面や、誇らしげなスペイン風のメロディーからは、当時の様子が目に浮かぶような気がする。
楽しいなかにも、こんなエピソードを含んでいる、爽やかな演奏会向けのピースといえよう。
ランクドック発祥のリキュール
Get 27(ジェット27)
以前はペパーミント・ジェット
と呼ばれていた