セヴラックと南仏の作家ミストラルの田園詩「ミレイユ」

  〜南仏の乾草の香り〜
ミストラルはセヴラックの精神的な同志?!

・・・Cantan que per vautre,o Pastre e gent di Mas
(あなた方のためだけに歌いましょう、羊飼いと畑に出る人々のために)
EN LANGUEDOC 「ラングドック地方で」 組曲の第1曲 ”祭りの日の農家の屋敷をめざして” の冒頭には
オック語(フランスの地方の原語)で書かれたフレデリック・ミストラル(1830〜1914)の田園詩「ミレイユ」からの引用文がある。

組曲「ラングドック地方で」は、5曲からなるが、その各曲はどれも長めで8分程度。
第一曲 ”祭りの日の農家の屋敷をめざして”のタイトルの下には

”急な流れに沿って”、 ”泉での休息”、 ”祭りの日の農家”  と 3つの場面の表示がある。
3つの部分は終止線によって区切られているわけではない。
小品で括らずに一気につなげているから、物語り性と動きのあるダイナミックな流れを作り出している。

@急な流れに沿って― 嵐や南仏特有の強い風ミストラルを思わせる走句は、ドビュッシーの前奏曲集第1巻の「西風の見たもの」を思い起こさせる。作曲年はセヴラックの方がはるかに早い。
ピアノのトレモロ、トリル、グリッサンド、クラヴサンの時代のドミノ弾きのテクニックを駆使して荒れ狂う様を表現。
嵐は止み、グレーな暗い不穏な色彩から一変して、空には明るい光が差し始める。

A泉での休息― 泉に到着、美しい澄んだ響きに彩られる。空に響きわたる鐘の音は、人の気配を予感させる。

B祭りの日の農家―躍動感のあるリズムが楽しく、祭りの賑わいや享楽的な刹那を表現する。
独特のエキゾチックなリズムがとても魅力的。ドビュッシーやラヴェルの作品でも出会わなかった”前代未聞のひびき”に出くわす。踊りに興じる人々、喧噪に鐘の音が混じり、いつしか祭りは終焉を告げる様子。
夕べの鐘が鳴り、あたりには静寂が訪れる。どこまでも続く大気の広がりを感じさせられるように響きが横たわり、あたりは闇に包まれ始め、第二曲を予感させる。

弾きながらこんな世界に引き込まれるような気がする。自然の色彩と時間の経過を音楽で語っている。ミストラルの田園詩を読むときと同じ、言葉ではなくて音楽で綴られた詩のようだ。

まるで旅をしているような音楽。心が自然の中に解放されるようで、日常の些事を忘れることができるのでは。
音楽の中でエキサイトし、そしてcalm downする。

ミストラルとセヴラックの音楽は精神的な共通性があるようだ。
シューマンが同時代の作家ジャン・パウルに見出したように、セヴラックもまたミストラルの表現に大いに同志の香りを想ったのだろう。
オック語が標準フランス語にとって変わられることに必死で抵抗したミストラルは、のちにオック語で書いたこの作品を評価されノーベル文学賞を受賞する。
セヴラックが必死で故郷の文化を擁護した姿勢と合い重なる。

杉富士雄さんの訳で読んだ「プロヴァンスの少女−ミレイユ(ミストラル作)」は、美しい南仏の自然と善良な人々、歌や踊りが、恋が、素朴な人生がうたい上げられ、セヴラックの音楽のなかにいるときと同じような感慨に浸ることができる。
ちょっと一息つきたい時に読みたいおすすめの1冊です。

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